"やんばる路を往く"という少し古い本を読みました。
昭和50年から3年間にわたって郷土月刊誌"青い海"に連載されたものをまとめた本です。
この頃はまだ名護湾でヒート狩りが行われていて、ヒートが寄ってくると名護市民は仕事をおっぽり出して見物しても上司からとがめられなかったといいます。
名護ではヒート狩りに手を貸した者全員に分け前を与える習慣があり、市の最大のお祭りだったそうです。
議会もヒートが寄ってくると、日程を切り上げ、町長〔市長〕,議員、与野党そろって駆けつけたというからすごい。
名護湾も埋め立てられ護岸ができ砂浜が減少したことも、、チムグルサヌという声も大きくなったことも影響して次第に衰退していきます。
当時ヒートが寄った名護湾は、今よりももっと広く感じる湾だったんでしょうね。
名護マサーという地域の人々の特徴を表した言葉があります。
ヒート狩りの殺気迫ったすさまじさ。眼はギラギラと輝き顔はひきつり、素早い勇敢な動き。
このたくましい、エネルギッシュな負けず嫌いな気性を名護マサーと呼ぶそうです。
マサーはマサラーの意で、誰よりも自分のほうが勝ってないと気がすまないと解釈されてました。
負けてなるもんかという名護の気性が、屈しない市長を選んだのかなと思いました。
他にも面白い呼び方もあって
那覇の人は那覇ナーハイバイといって、各人ばらばらで好きな道に向かっていく
首里の人は首里のダヤーといって、のんびりの人が多い
他にもヤチー羽地、伊江島イーハッチャー
このあたりになると、イミクジワカラン。
島の地域ごとに言葉が違うように、県という小さな単位でも人の気質に特徴持っていた時代。
今は本土からの移住者もいて、やんばるから南部へ、南部から北部中部へとあちこち拡散して、地域ごとの気質も昔ほどではなくなったのかもしれません。