旧運天港
ここは旧運天港のはしっこのほう。
古宇利大橋が開通するまでは、古宇利丸が運航していたそうだ。
今は静かな漁港だった。
崖が削られて四角い洞窟のようになってるのが、いくつかある。
墓群なんだろうか。
でも、中を覗いてみると、漁具のようなものも置いてあった。
今帰仁村の古い墓は、海岸や崖の中腹、集落から離れた窪地や港に分布してるという。
港近くの崖にも、あちこちと、削られた跡があった。
近くに百按司墓(むむじゃな)や大北墓(うーにし)がある。
山北地方の歴代の王や監守の墓といわれている。
昨日16日の琉球新報を読むと、百按司墓から持ち出した人骨26体が京都大学に75年間以上保管され、返還されてないそうだ。
戦前の人類学はヒトも文化もモノ(標本)として見てきて、ヒトの尊厳や命に対して配慮が足りなかった面もあると思う。
アイヌ民族の遺骨は昨年、遺族に返されたことから、琉球人の遺骨も沖縄に返還すべきだという声もあると記事に書かれていた。
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