運天港の為朝伝説

おきなべ

2017年02月24日 12:45

運天港と云えば


せりかくののろの、 あけしののろの、
あまくれおろちへ、よろいぬらちへ、
うんてんつけて、こみなとつけて、
かつうたけさがる、
やまくれおろちへ、よろいぬらちへ、
やまとのいくさ、やしろのいくさ、

一隊のヨロイ武者が運天の浜に上陸した。
勝宇岳の上には雲がたれこめ、勢理客のノロ、あけしのノロが、その雨雲をよびおろして、武者たちのヨロイを濡らした。
聞けば、かれらの本国である大和、山城ではいま戦がたけなわであるそうな。

という意味の有名なオモロ。

為朝の子が舜天になったという伝説です。
源平時代の保元物語で、主人公の為朝が、伊豆へ流された後、鬼ヶ島へ行くと書かれていた。
その軍記を400年以上経って、羽地朝秀が中山世鑑という歴史書で、鬼ヶ島行きを琉球渡来に書き変えた。
文字のあったと考えられる舜天王統の時代に、為朝の名前のない伝説というのもオカシイし、オモロにも謡われていないので、史実とはありえないという見方が大筋であるようです。
運を天にまかせたので運天という名前になったという語呂合わせもあります。
近くに為朝の触った指の後もある。
そんなバカなことは、あるはずないけど、為朝伝説はオモロい。

運天浜に上陸したオモロに出るヨロイ武者は、伝説のいう源為朝だったのか、平家の落武者だったのか。
それとも倭寇だったのか。
普段とは違う何者かが上陸したのは確かなのかも。





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