中城グスク

おきなべ

2017年09月29日 17:05



中城グスクの一の郭
ここは護佐丸など歴代城主が政を行なっていた建物が建っていた場所と考えられている。
17世紀には番所が置かれた記録が僅かに残ってるだけで、それ以前の時代には、どんな建物が建っていたのかは、わかっていないそうだ。
護佐丸は15世紀の按司。
どんな暮らしをしていたのか、とても興味あるが。

明治の頃は、番所は役場と名前を変え、沖縄戦で消失するまで、長い間中城村の行政に中心として使用されていた。
その時代の写真が案内板にあった。




一の郭の向こうに廃墟ホテルがある。
はじめて、中城グスクへ訪れた時、グスクの建物の廃墟かしらと思ってた。

そうではなく、1975年に開業を予定していたホテル(中城高原ホテル)だったが、建設計画していた企業の倒産で、頓挫し、放置されたままになっている。
沖縄海洋博時代の負の遺産といってもいい。
まことしやかに○スポットなど、いい加減な噂が絶えないが、先日の若者によるガマの肝試しする心理のように、こんな話はキライ。
取り壊すのに、莫大な費用がかかると思う。

実は、この中城ホテルが、観光客誘致のため、一の郭の敷地に建てようと、計画されていたとのこと。
文化財保護の視点が、全くなかったのか。
そうとう対立したが、最終的に城壁外の高台に建設が決まったそうだ。

復帰、海洋博建設の時代、観光客誘致。
いろいろ考えさられる建物だ。

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