尾道の朱華園 休業

おきなべ

2019年06月18日 20:40





ついにこの日がやってきた。
とても悲しい。

朱華園が休業する。
閉店でなく、再開されることを、切に切に願う。

1947年に屋台で売り出され、尾道では朱さんの中華そばとして、誰でも知っている。
今では有名になった尾道ラーメンの原点で、現在の尾道の中華そば屋さんは、この店を目指して発展してきた。

尾道人は、朱さんのソバを尾道ラーメンとは言わない。
ケッ 何が尾道ラーメンじゃと。

あくまで、朱さんの中華そばだ。

思えば、子供の頃から朱さんはあった。
自宅から歩いて10分。
中華そばといえば朱さんだった。
朱さんと言わず、しゅうやんとこ行こうと言った。
しゅやんとこが、朱やんとことと知ったのは小学校高学年の頃。
いつのまにか朱華園という立派な名前がついていた。

父親に連れられていった頃は、屋台から小さな店を構えて、カウンターには10人も座れなく、外で立ったまま食べていた。
それから店を大きくして。現在の朱華園は、3店目になる。

幼稚園から小学生の頃は、朱さんの中華そばを好んだ父親に連れられ月に1回。
8年で、約100杯。

中学から高校にかけての6年間は、一人で、友人と、月に必ず1杯。
約70杯。

尾道を離れ帰省するたびに、毎回2杯は食べに行った。
約100杯。

地元に帰り20年。
月に1回のペースは変わらず、約250杯。

少なく見積もっても、今まで500杯以上の朱さんの中華そばを食べたことになる。

その朱さんが休業する。

朱さんが閉店するらしいという噂を聞き、まさかと青天の霹靂。
それから2週間。
朱さんの店の前では異常な状態が続いた。

毎日、150人から200人の行列ができる。
それまでは50人くらいの行列で、混んでない時間を知ってる尾道人は、4時から5時頃の行列のできない時間に食べていた。

ぐるぐるぐるぐる、折返しの行列で本通りまで並んでるという情報があり、最後に食べるのは諦めるしかなかった。

今日、朱さんが閉店した。

2代目の体調不良だとニュースで知った。

こんなに愛されていたこと知った2代目も、回復したら再開するとインタビューに答えていた。
初代と比べられたり、苦労もあったという。
先代に比べられ、昔の味が懐かしいと、最近は良く言われていた。
そのプレッシャーと戦っていたこと、インタビューで知った。

昔と比べて味は濃くなり違ってきたが、基本的な朱さんの味は変わらない。

朱さんが休業する。
とてもショックで、その想いを共有する尾道の人は多い。

今は亡きN君。
病気がちだったN君とは帰省のたびに朱さんへ行き、いつも残ったスープにソースかけてヒンシュクかってた。
M君とは、高校時代、毎週土曜日に部活の帰りに朱さん行った。

高校時代に好きだったHさん。
20歳の頃、喫茶店を出た後に、二人で朱さん。
座っていた場所も覚えている。
緊張して食べた。

その朱さんが休業する。
とても悲しく、ショックだ。


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