2018年07月04日
義本王の墓
真偽のほどは別にして、源為朝の子という伝説のある舜天が琉球最初の国王になった。
それ以前は、中山世鑑という歴史書によると、天帝の神から生まれた天孫氏が1万7802年続いたという途方もない話。
その舜天王統の第三代国王で舜天の孫が義本王だ。
義本王が即位した時、天下に大きな飢饉や疫病があり人民の半ばを失ってしまう。
王は嘆き、群臣を招集して、この原因は自分の不徳で、国を譲るべきと思い意見を聞いた。
群臣は英祖を推薦する。
第1尚氏が、第二尚氏になる金丸(尚円)を群臣が譲位させたことに似ている。
浦添の英祖だ。
国政を担当させたところ、疫病が止んだ。
英祖が摂政になって7年、義本王は英祖に譲位した。
義本王のその後の消息は不明だ。
退位後、訪れた玉城城で焼身自殺をはかったという伝説もあり、沖縄本島の辺戸や北中城村、奄美大島にも義本王の墓と伝えられる場所がある。
実は、英祖によるクーデターではないかと多くの研究者は述べてるようだ。
辺戸へ逃げたのか、辺戸から奄美へ渡ったのか。
平和裡に英祖に譲位したとしては、英祖王の葬られている浦添ようどれのような立派な墓もなく、消息も不明。
はたして、実在した人物なのか、伝説上の人物なのか。
辺戸岬に義本王の墓と伝えられる場所があるので、行ってみた。
案内板はあるのだが、入り口がなかなか見つからず、行ったり来たりしてやっと探しあてて階段を登っていった。
すぐ上にあると思ったが、10分近く山道を登っていく。
平成24年にこの墓が調査された。
墓室内に大きな陶棺があり内部には26体の遺骨が合葬されていた。
ただ残念ながら分析の結果、今のところ、義本王の時代という結果は得られていないが、義本王のゆかりの人達が後世に墓を作ったということなのか。
謎謎謎が、色々な空想を呼び起こし面白い。