浦添ようどれ
ようどれ館すぐ近く。
ようどれというのは夕凪を表す言葉だそうで、グスクの北側の崖に英祖王と尚寧王の墓陵がある。
第二尚氏の王の墓稜は首里の玉陵に葬られているけれど、7代国王尚寧王は生まれた故郷の浦添に戻っています。
先代王に男子がなかったので、娘婿の尚寧が王位についた。
本家とか分家とか、ややこしいものなのか、薩摩の支配におかれた責任をとってここに入ったという言い伝えもある。
それとも、尚寧さんは、玉稜なんてうっとおしくて単に浦添の稜を希望したのか。
浦添ようどれは13世紀に英祖王によって築いたと伝えら、尚寧王によって改修が行われました。
ここも沖縄戦で徹底的に破壊され2005年に復元されました。
沖縄戦が回避されてたらって、いつも思います。
沖縄の国宝がほとんど破壊されてしまってる。
むかって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓陵です。
下からようどれを見上げた写真。
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