石川ジェット機墜落事故から57年
今日で宮森小学校の児童が被害にあったジェット機墜落事故から57年目の日がやってきました。
1959年6月30日、嘉手納基地から飛び立ったジェット戦闘機の1機が石川市の市街地に墜落しました。
炎上する機からパイロットは脱出し、無人になったジェット機は爆発して墜落、機体の一部が宮森小学校の校舎を直撃し、一瞬にして11名の児童の命を奪いました。
のどかで楽しいミルク給食の時間に突然起こった事故でした。
死者17名(児童11人)負傷者210名(児童156人)住宅17棟、公民館1棟、3つの教室が全焼しました。
石川市歴史民俗資料館では、当時の新聞や事故の様子が詳しく展示されていました。
米軍発表では、事故後すぐに不可抗力の事故であったと言明されましたが、40年後にジェット機の整備不良が事故の原因だったと明らかにされました。
この事故をきっかけにして、反基地闘争の萌芽となり、復帰運動が盛んになったそうです。
今朝の新聞を読むと、米軍は宮森小の事故後もF100を継続運用して、2年後にも具志川村川崎に墜落し、死者2人を出していると伝えていました。
復帰44年を迎えた今も、このような事故がいつ起きてもおかしくない状況が続いています。
オスプレイや戦闘機が沖縄の街や海の上を今でも自由に飛び回る。
海外での事故や着陸失敗も年に数回は報道され、沖縄では危険な飛行訓練が今でも続いています。
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